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  • 執筆者の写真soma

あなた自身を否定しなくて大丈夫です


サンスクリット語 学んでます

というより

私的にはインド哲学を学びに行ってます

これが

参加メンバーの中

かなりの若手(笑)

この年になって

『御嬢さんたち』と言われる位の

先輩方にまじって授業

学びの多さの半端なさもさることながら

先生、お仲間

楽しいです

 

とういうことで

先日 

今期ラストクラス後の打ち上げに参加してきました

これ

私にとっては

ものすごく珍しいこと

そもそも

夜はレッスン以外 出歩くことはなく

一秒でも早く布団に入ることが至極幸せなタイプ

夜 外で外食は ほぼほぼなし

案外と内向的でパーリー苦手

でも

この打ち上げだけは絶対に出るう!

そう

この打ち上げの為に三鷹まで通った

と言っても過言ではなかったのです

ご参加の皆様お疲れ様でした

ありがとうございました

 

さてさて

サンスクリット

ご存じですか?

いわゆるインド古典語

言語学では

インド・ヨーロッパ語族に属し

最も難解な言葉と言われています

それは

紀元前4世紀頃

パニーニという文法家が文法書を作成し

古典サンスクリット語は完成されたと言われ

その後

補修と注釈が二度入っただけで

本日まで大きな変化なく伝えられている

正真正銘の年季の入った言葉だからなのでしょう

ヨガの経典

マントラ

アーサナの名前等

ヨガ周辺はサンスクリット語です

なので

ヨガを行じている方は触れることが多いから

自然と

興味が湧いてくるのは当たり前なんですよね

ですよね 

興味ありますよね 

ありますよね

(いや興味持とうぜ!)

私自身

今まではヨガ関係者からのみ

インド哲学を学んできました

サンスクリット語の訳というよりも

その方の解釈が主で

その人の想いによって内容が左右されやすい

そうじゃなくて

学問としてのインド哲学を知りたいという想いと

故佐保田先生の

素人芸に甘んじる訳にはいかない

という言葉に後押しされての参加です

お仲間を見渡すと

ヨガ関係者は私とお友達のみ

しかもインド自体にもそんなに興味がなく

行ったこともゼロ

皆さん なぜこの言語を 

なぜバガァヴァッドギーターを学んでいるのか

とても不思議で

お聞きしても

『ボケ防止だよ~』

というライトな言葉のみ

幾つになってもこうやって得体の知れないものに

果敢に挑戦していく姿は

とても心強く尊敬しています

 

にしても

マイナーなこのサンスクリットの元に集まる皆さん

私も含め明らかに変わってます

いい意味で変態←かなりの褒め言葉です

打ち上げも濃い時間でした

世間様ではどうでもいいことについての

深く熱いディスカッション

ホント熱かった

この熱さ

ヒートアップして喧嘩になるんじゃないのと

以前の私ならビクビクして

その場を丸くお納めようと

必死に仲裁に入ってました

でも

今は違います

その熱い話合いが心地いい

以前は

『それは違うよ!』

そう言われると

お前の考えは間違っているバカだろ人間としてどうなのと

馬鹿にされた

嫌われてしまった

人格否定をされたのかと傷ついていました

嫌われたくないと自分の意見を正直に言えず

そう思ってなくてもヘラヘラ笑って同意しているふりで

その場を丸く収めようとしていたんです

まさに

相手から出た言葉が耳に入ると

自分の中の翻訳作業者が

否定は全て人格否定 = 嫌い・死ねという余計な言葉を

付け加えていたんです

『それは違うよ』の

正しい訳は

その意見と私は違うという意味であり

それ以上でもそれ以下でもない

その人本体の人格は否定はしていない

なので

お互いの意見を

ディスカッションしても

それはそれ

後になって

アイツにあんなこと言われたと根に持ったりは

不要の長物

実際

あんなに熱く浄土真宗について討論したのに

お仲間は仲良く電車に乗って

笑顔で一緒に帰って行かれました

哲学ってそういうものです

答えががないことを模索していく

その作業で語り合う時に

お互いを尊重しているからこそ

静かに熱くぶつかり合いを楽しんで

模索していくもの

逆に

この意味はこうなんですと

誰かが言ったことのみが答えで

それが全てだと思ってしまうと洗脳になってしまうのでしょう

 

自分が自分を否定せずに自身を認め

自分の意見を持つ

他人も自分と同じように

自分を否定せずに自分を認め自分の意見を持っているんだと

理解しているので

相手を尊重できる

だから

他人の意見にもむやみに迎合せずに

自分の意見も伝えらえるし

相手との意見交換が楽しめる

何をしていてもそうですが

やっぱり

自分を否定するその心

自分の中にある解釈の間違いが

人生を生きづらくしているんですね

いかがですか?

皆さんは

違うよ

間違っているよ

と上司や仲間から言われたら

全否定されていると

酷く落ち込こみ不安に苛まれたり

敵と認定して復讐を目論んだりしませんか

大丈夫

まず自分を大切に

まず自分への尊厳を

 

インドの挨拶

“ナマステ”は

あなたに敬意を表します

という意味なのだそうです

なるほどなるほど

六派哲学と6つの種類の哲学を生んだ

インドだからこその言葉なのかもしれません

その言葉の際

必ず手をあわせます

その想いは

相手だけではなく

自分自身にも敬意を表しているんですね

 

とはいえ

何か意見を言われた時に

傷つくなという訳ではありません

確かに

人格まで否定するような言葉を使う方もいます

行動や起こった出来事に対しての注意にプラス

だからお前はダメなんだ

本当に何もできない人間クソだな

人格否定のような言葉を発する方もいます

そういう経験の積み重ねで

人から何か言われた=全てを否定されたと思ってしまうのは

特に幼少期の頃の奥底の想いでの中に心の傷としてある場合は

その言葉に反応して

怯えてしまいます

それは捨てられたら生きていけないという

生命の危機からなのでしょう

でもそれは以前のこと

今のあなたではない

過去を生きずに今を生きる

まさにマインドフルネス瞑想はその訓練

今ここに意図的に意識を向ける行為で

今を生きるからこそ ストレスマネージメントになるのです

そして

人に何かを言われたじゃなくて

その人はただ言っただけ

それだけのことなんです

あるがまま

その出来事を客観的にただ観る

まさにヨガ

傷つき下を向いてしまっている自分への処方箋としてヨガは有効だなと

さらに最近納得しているところです

□結論

行為のヨガと言われているカルマヨガは

結果を気にせずに今目の前のことに集中すること

この結果を気にせずという意味は

反応的にならずにということなのだと確信です

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