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  • 執筆者の写真soma

ヨガの歴史⑥ インド哲学から考えるヨガの実践方法

更新日:2021年9月4日


こちらは連載記事になります

2018/12/18.19.20.21,22の続きです

以上をお読みいただいてから

ご一読ください

今回 連載にて

ヨガの歴史についての記事をアップしました

マニアックな内容の連載を

いったいどれくらいの方が

全てを読んでくれたのだろうか

そう思うと

全て①~この⑥まで完読して下さった方

本当に本当にありがとうございます

そして

イン哲の世界へようこそ♡

こちらの内容は

2012年インドでの500時間

ヨガトレーニングに参加するにあたり

提出した宿題の内容です

なので

いかにも論文風に書いているので

読みにくかったかもしれません

修正したのは

現在ヨーガ療法学会を退会している

そのあたりのみです

なぜかこの年末に

一区切りをつけたくて

この内容をアップしよう

再度整理しようと

いてもたってもらいられなくなっての

ブログです

記事をあげながら

こうやって

命がけでヨガを伝えてきた

行者たちの想いを大切する者は

例え少なく

世間様の興味がなくても

居ていいんだよなあ

どこかの組織に属してなくても

自分の気持ちに正直に

その伝統を受け継いでいける喜びを胸に

さらに学んでいこうと決意しました

当時(2012年)

私は瞑想をする際に

自分を客観視する瞑想ヨガクラスと

この時間をみんなでシェアしてひとつになりましょうというヨガクラスが

どうにもこうにも違和感だったのです

どちらがいい悪いということではなく

「客観視をして自分と向き合うのよ」

「今ここにいるみんな同じひとつよ

お互い手を触れ合って瞑想よ」

ひとつのクラス内で

同じ先生が

相反することを言っているその姿を

相反することをひとつにするのがヨガだから

という大義名分だけでは

納得できず

どっちやねんと(笑)

そこで

2か月間インドに滞在する前までに

浮かび上がった疑問に決着をつけたく

図書館に通ったり

本を取り寄せたり

ヨガ歴史年表を作成したりと

1人悶々&ニヤニヤ籠って作成しました

今思うと

とても幸せな時間をいただいたこの宿題に感謝ですし

この時から

誰に頼まれた訳でも無く

趣味なのか仕事なのか境のない

テーマについて

粛々と籠ることが生活となりました

そもそも

ヨガはインド哲学でいう

一元論 ヴェーダの思想から生まれました

大いなる存在とひとつである

ワンネス

そこから

のちにラージャヨガと名づけられた

ヨーガスートラでは

私達は

真我であるプルシャが

自性であるプラクリティに興味を持つことで

映し出すブッティが生まれ

意識が生まれ知覚器官が生まれ

運動器官が生まれていった世界

いわゆる二元論です

その真我であるプルシャは観賞者であり

実際に経験はしていない

それをプラクリティと一体化して

あたかも自分も一緒に経験している

プラクリティと同じものと思う無知から

苦しみが生まれる

プルシャとプラクリティの独尊状態に戻れば

苦しみから解放される

そのために瞑想をし

心の作用を静止するのがラージャヨガ

その後生まれた

ラージャヨガの前段階と言われているハタヨガの考え方は

また

一元論に戻って行ったのです

なので

あたかも

自分を客観視していく内側に向き

自分の中で観る物と観られるものが

二つになって今ここにいる感覚と

私達は大いなる存在とひとつ

ここにいる私達も一体となり

手をつないで瞑想しましょうという

一元論的感覚と

両方あって当然だったのです


では

ヨガを実践していく場合

根底に流れるインド哲学とどう実践していけばいいのでしょう

以前

お世話になっていたヨーガ療法学会でも

木村先生がおっしゃていたように

まずはハタヨガを行っていくことをおススメします

ヨガでは身体が一番粗雑で簡単なものと言われています

それは目に実際見えるし

触れることのできるこの肉体

そして自分が食したものでできている食物鞘と言われる

肉体をまず使って

身体を動かす

ポーズをとってみる

ここをすっとばしてしまうと

瞑想に耐えうる身体や呼吸ができないので

なかなか瞑想に集中できずうまくできません

ですので

現在行っているマインドフルネス瞑想講座でも

呼吸や身体を少し動かしてから行っています

また これはあくまでも私の経験ですが

健全な身体に健全は精神とは良く言ったもので

瞑想の内容もネガティブに陥りやいように感じます

ただ

一番粗雑で簡単なものなので

このポーズだけがヨガだという罠にハマりがちなのが注意

確かに身体を使ってポーズをとるので

難しいポーズができたことへの優越感

痩せてキレイになる

柔軟性や身体の健康と

意識が外にばかりに囚われてしまい

瞑想へ逆に進めなくなるように感じます

手段であったはずのポーズが目標になっている

ハタヨガプラティピカーでいうところの

ラージャヨーガを知らないで

ただハタヨーガを行ずる人が多い

彼らは実りのないことを

ただ繰り返しているに過ぎない

(ハタヨガプラティピカー4-79より)

となってしまいます

そこで

座ることへの姿勢が整って来たら

ラージャヨガへと進むべきかと思います

今話題となっている マインドフルネス瞑想は

いい悪いとジャッジをせずに意識的に今を観ていく

その訓練であると当時に脳科学でもストレスマネージメントとして

認められているのでおススメです

じゃあ瞑想かと!

瞑想実践がないインストラクターからの指導は危険ですし

心療内科など通われている場合などは

係りつけの医師の許可を得てから行う注意が必要です

そしてしっかり内観を行い

自己と向き合い

まず自分の幸せや想いを確立してからの

ワンネス

大いなる存在とひとつになっていく

一見遠回りに感じるこの流れが

解脱への流れ

幸せへの道のように思っています

もちろんヨガは経験の道なので

人それぞれです

どこかの団体に所属し

グルの考えに従い歩むのもまた一つの道です

どの道を歩むかは

実践者が選べますいや選びます

もし道に迷った時は

私達の先人たちが

4500年という時間を培って

築いたこんな流れもあることを思い出してくだされば嬉しいです

※写真はヴィヴェーカナンダ大師でございます

参考文献

〇ハタヨーガからラージャヨガへ 真下尊吉著

ヨーガ根本経典  佐保田鶴治

続ヨーガ根本経典 佐保田鶴治

ヨーガの思想   山下博司

いまに生きるインドの叡智 成瀬貴良

瞑想ヨーガ入門  綿本彰

ヨーガを始める人のために 田原豊道

YIC日本語版・講義資料集 日本ヴィヴェーカナンダ・ヨーガ・ケンドラ

YTIC四大ヨーガ資料集 日本ヴィヴェーカナンダ・ヨーガ・ケンドラ

インド哲学としてのヨーガ 前田専学 2012.07.07.日本ヨーガ療法学会第十回研究総会In岡山配布資料

敬称略にて失礼します

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