大人の自由と子供の自由は違う
- soma
- 2018年12月24日
- 読了時間: 3分
友人達と話すのが楽しい日々
おっーぉーっ 名言!!!
常に一緒にいる訳じゃないし
年がら年中話をしていることはない
久しぶりに会ったとしても
言葉が織りなす宝箱
やさしい色合いなのに真実をついてくる
いつも はっ!と
ヒントや気づき
勇気をもらっている
ありがとおおおお
Xmasに便乗して
私も何かが溢れ出てる感満載
感謝です
いつもありがとう
今年一番の名言
心にぐっときた言葉
大人の自由と子供の自由は違う
この言葉だったように思います
自由になりたくないくわーい♪
尾崎に酔いしれ自由を求めていた高校時代
早く自由になりたいぜ
校則なんかクソくらえ
そんな子供でも
金八つぁんの腐ったミカンを観て
自由と責任はセットであることをなんとなくは知っていた
だから
自由になることに制限をかけていたのかもしれない
自由と引き換えとしての安心
そんな想いを抱えながらも
社会に出て
色んな人と出会い
良いも悪いも
傷つき傷つけのお互い様の人生で
少しずつその自由とやらは
どんな形であっても心の自由度なのだと気づく
不自由と感じている
その不満だけでは何も解決しない
不満だからとその不満を消そうと
周囲や環境を変えて
一見自由を謳歌しているように感じても
不満はまたやってくる
その不満はあなたの中から生まれているから
あなたの心の不自由度によるものだから
そんな不満のある自分をまずまるっと認めることから
大人の自由ははじまる
そして
自由とセットの責任こそが楽しくなる
大人の自由を謳歌している人は
アタシ自由でいいでしょ
なんて口にしない
自由である以上に
自分の責任で生きている実感のほうがウキウキするから
恋愛もそう
誰かを好きなるのは自由
でも
好きになったのならば
自分の気持ちだけじゃない
相手の幸せを願う責任
そこがあるかないか
自分の責任で歩く者同士の想い合いだから紡がれていく
そんなことを改めて思ったのは
聖ちゃん
中学聖日記の最終回を観て
いいドラマでした
賛否両論あったようですが
なぜかこのドラマを姪と私だけがはまるという(笑)
何よりも
学校の先生を好きになってしまった
中学生の黒岩君
この俳優さん
15歳から23歳を演じたのですが
ホント中二病男子から
最終回のラストシーンでのビシッと決まったスーツ姿
吉田羊の言う
いい男になったのであります
自分の感情に飲み込まれ周囲を巻き込む上っ面の自由ではなく
自由であるからこその責任をがっちりと抱え込む大きさ
その大人の自由と子供の自由の違いからの恋愛
この違いを知っている母親達だからこそ
鬼となり悪役となって
あえて障害となっていたのでしょう
その障害とも見える余り余るほどの愛情と
苦悩しながらも
黒岩君自身の成長と変化によって
自分が人生で何を求めているかを知り
貫き通したから
最終回のあのハッピーエンド
二人の自由な世界になったのだと思います
あらためて
友人の語った言葉
大人の自由と子供の自由は違う
なるほどね
□結論
いやあー中学生女子の感想はどうだったのかしらん
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