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  • 執筆者の写真soma

足さなくてもあるから大丈夫

最近 インドにどっぷりです といいますか 2018年頃から ちょっと 何か別方向に向かっていたようで 何周か回って 結局 根本に戻ってきた感があります でも なぜ こうもインドに魅力を感じるのが 改めて考えてみました



働いているのか働いていないのかわからない街中 以前 ブログで インドの町の風景を こんな風に表現したところ お友達から そんなことない みんなちゃんと働いていると 突っ込みが入ったので 大反省しましたが これが 大きなポイントだと思っています 私は 日本は働く場 インドは心安らぐ場と

定義して 何度か渡印していました このご時世 海外へ渡航できなくなった今 再度 この今私の住んでいる 現実を考えてみました そう やっぱり私は この場所を 働く場と定義していると 再確認したのです いや 正式に言えば 働かなければ 誰にも相手にしてもらえない 働かない私は駄目人間 働いて誰かに認められなければ 日本に住んではいけない 働いて稼がなければ生きている意味がない だから いつも 不安だったんですよね 仕事なくならない? 収入なくならない? 認めてもらえない? ないないづくし そう ないことが大前提で生きるのが日本 でも インドは 異なって映りました インドでは バクシージと 駅や道で寝ている方から 寄付を求められるのが日常茶飯事です でも 日本だと 今ではそういう現実には出くわすことがないです 幼少の頃の思い出だと 恵んで下さい すいません という 働いていなければ 家に住んでいなければ なにか 恵んでという 下からの 申し訳ない態度だったんです インドでは そんな 惨めな態度は微塵も無く 恵みさないなという 家がないこと 働いてないことでごめんなさい 駄目人間です という否定な態度はなく アタシ生きてますという 力強いパワーを感じ どんな状況でも 人間には生きるという権利がある だから 誰にも詫びる必要はないし 何も 申し訳ないとか すいませんとか 自分を卑下して 恵んでもらうことなんて 微塵も感じられないのです そう ある 命がある という あるが大前提 だから

どんな状況 どんな立場じゃなきゃ 人様に顔向けできないということよりも 自分の命の大切さ 人の目よりも 自分の気持ちの大切さを 感じます そんな 人間本来の生きる力 インドへ行くのが 好きな理由なんですよね 日本では感じられない感覚 でも この時期 渡印できないからこそ それは 私の勝手な思い込みであり 決して 日本で そんな風に存在できない訳じゃないと 気づいたんです そう その根底にある 私の中の ないことへの不安 これをしっかり受け取り 認め 不安があっても 自分という存在がある あるから 無理矢理 勉強して知識を詰め込まなくても 無理矢理 資格を取らなくても まず そうやって

日本に居るには 何かがない自分でいると 世間に存在できないという不安 その不安をないものとせずに 埋めることなく まず認めること これなんだと思うんです そこに気づいてから ダイブ楽になりました そう 不安 この不安をないものとするとき さらに不安は募り 誰かを批判したり 批難することで その不安を埋めようとするんです

いくら 沢山本を読んでも いくら 英語が話せても いくら 多額の税金を払うほど稼ぎがあっても その 自分の中にある不安を ない としていればいるほど 世間や誰かを攻撃することは 終わらないのでしょう

以前の私も

不安まみれの自分を隠し

なんとか

日本で無理くり存在しなければと

インドへ行くことで

自分の心のバランスをとっていたんですよね


そのインドへ行けない今

だからこその気づき


どんな人間も不安はあり

そこを認め

どんな状況でも

生きる権利を力強く心に持って

現実をしっかり生きていく


大切な

気づきを得ることができました


2018年頃から

どうも

ふわふわしていたんですよね

ホントに

ここのところ

元の道に戻った感があります

そこから

また

インド映画や本

そして

インド哲学を

学び直しているんだと思います 働いているんだか 働いていないんだかわからない そんな人の目なんて どうでもいい



遠回りをしたようですが

一番近道だったのかもしれません




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