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ヨガの歴史① ヴェーダの時代からブッタへ

  • 執筆者の写真: soma
    soma
  • 2018年12月18日
  • 読了時間: 6分

更新日:2021年9月4日


『ヨーガは、インダス文明の遺跡から 

ヨーガ行者らしき姿をした人物像が出土されたんですよ。

インダス文明は、4500年前だからそんな大昔から続いている歴史を

私たちもつむいでいるんですね。

素晴らしい事です。』

生徒さんから、ヨーガの歴史を聞かれる 私の答である。

今、日本でヨーガを伝えている立場の人間で

同じように答える方は多いと感じる。

余りにも想像のつかない悠久の流れに酔いしれるだけで

話が終わってしまう。

果たしてそれだけでよいのだろうか。

何よりもそう答えるその私達自身が、

本当にヨガの伝統について理解をしているのだろうか。

日本ヨーガ界の第一人者・自身も実践者であり、

数々のインド聖典の訳も行っている

佐保田鶴治先生の言葉を思い出す。

ヨーガは何千年もの間に、

インドの賢明で良心的な多くの聖者や修行者たちが、

一生かけて、時には生命の危険さえおかして開発した幸福の道なのです 

われわれがヨーガの道を実習するには、

なんといっても、このヨーガの伝統を基準としなければなりません。

続ヨーガ根本経典はしがきより

そして、ヨーガが加速度的に

広がっていくことを予測していた著者は、

その先 野心や貪欲や無知の結果、

ヨーガが社会から毒殺されるという心配も述べている。

この本の初版は1978年であることを考えると

実に、34年前に憂いていたと同時に

警鐘を鳴らしていたとも言えるだろう。

私自身も重く感じている文章である。

その著者の想いの深さを胸に 

ヨーガの歴史を時代との関わりや人物・哲学を含め

今一度改めてここで考察をしていく。

ヨーガの歴史と言えば必ず出てくるインダス文明である。

紀元前3000年から1500年位に栄えたと見られる。

日本では縄文時代中期~後期にあたるだろう。

21世紀の20年以後になって、

インダス河領域のモヘンジョダロの遺跡が発見される。

その中に獣に囲まれてヨーガを行うような坐を組んでいる人・

神らしきものが描かれていた。

これがシヴァ神でハタ・ヨーガの合蹠坐に似ていることから、

呼吸法・瞑想をしている姿であり、ヨーガの源という見解である。

しかし、この文明に関しては謎が多く、

遺跡の文字も読解できない状況ではあるが、

確かに出土されたヨーガ坐の印章を見ると

バッタコナアーサナで目を閉じて

あたかも森の中で瞑想している人と感じずにはいられない。

この文明が滅びる要因は、アーリア人の侵入説が有力である。

アーリア人は、もともとコーカサス地方に住み

インド・ヨーロッパ語族のインド・イラン語派に属する言語を用い、

祭儀を中心とした宗教を大切にしていた。

彼らは紀元前1300年~1000年ごろに北西インドに定住後ヴェーダという宗教を確立した。

ヴェーダは知識を意味し、

転じて宗教的な知識を集めた聖典の総称となった。

それは四つからなり、紀元前1200年を中心に編纂され

最も古いのが『リグヴェーダ』である。

他『サーマヴェーダ』『ヤジュルベヴェーダ』があり

『アタルヴァヴェーダ』に属する副ヴェーダに

現在でも活躍している『アーユルヴェーダ』がある。

ヴェーダは、主に神々へ讃歌や薬草や病気に関する讃歌で、

この時期の神々は天界・空界・地界に住んでいるとされ、

特に雷神インドラ・火神アグニ・酒の神ソーマへの讃歌が多い。

この段階ではヨーガの語源と言われている

「ユジュ」という単語は出てくるが

現在のヨーガではなく結ぶという本来の意味のようである。

ただ『アタルダヴェーダ』には呼吸法と思われる記述があるらしいが、

ヨーガとの関係性ははっきりしていない。

ヨーガという言葉が現れたのは 

ヴェーダ聖典の一番終わりの部分を占めていると同時に

ヴェーダ聖典全体の趣旨を述べているといわれている

紀元前500年を中心として作成された

近くに座るという意味の奥義書「ウパニシャッド」である。

このウパニシャッドは、

それまでの思想の総括であると同時に

それ以後現代までインドの思想の源と言われるのほど重要なものである。

ヨーガに関する記述があるのが、

『タイッティリーヤウパニシャッド』と言われるが、

ヨーガの意味が明確ではない。

本来の意味で用いられたのは、

紀元前350年~300年ころに編纂された『カタウパニシャッド』と

紀元前300年~200年の『シュヴェーターシュヴァタラウパニシャッド』である。

『カタウパニシャット』には『オーム』について以下のような記載がある。

一切の聖典の諸表するところ、

一切の苦行の語るところ、また梵行を修する徒の目的とするところなる言葉あり。

これを要約して『オーム』これなり。

(佐保田鶴治著ウパニシャッドより)

また後者には、ヨーガの修行者は、

胸と首と頭を真っ直ぐにして直立不動の姿勢をし、

外に向かっている感覚器官を心臓の中に入らせて、

外界からの刺激を無くして、

呼吸を整えるという記述あると

東方学院長の前田専学先生も講演で述べている。

今日のヨーガという言葉の意味の上で合致してきたのは、

このあたりなのではないだろうか。

他にも『ウパニシャッド』には現代ヨーガに

影響をしているものがあるが多々あるが、

紹介はまた次回の機会としておく。

しかし、なぜ紀元前350年~200年に

このような変化があったのであろう。

インド大陸に進出していたアーリア人は、

各地で都市などを形成するようになり、

先住民であったドラヴィダ人との間に混血が生じるなど

思想や文化に変化が起こった時期であった。

安住の先に見える不安だろうか、

神々に対するバラモン(ブラーフマナ・祭儀をつかさどる階級)による祭儀、

ただ祈るだけでは永遠の安らぎが得られないのではと

哲学的にも宗教的にも頭角を現してきた

クシャトリア(武士階級)である彼らが、

アートマンについて追及をしていったのである。

もともとヴェーダは、

神秘的な力に満ちた根本原理なるもの

梵・ブラフマンにマントラを唱え

その力が働くように祭儀を行っていた。

ブラフマンはつまり万物を支配できる大宇宙である。

そのブラフマンに対し、

本当の自分とは何かと深く見つめていく我・小宇宙のアートマンである。

戦士であるクシャトラリアにとって

死とは隣り合わせである。

そんな彼らは 自己とは何か、命とは何だと問いかけていた。

そしていつしかそのアートマンを見つめ続けることによって

自己(小宇宙)を超えたおおいなる存在(大宇宙)を感じはじめた。

それが 梵外一如“汝はそれなり”の哲学なのである。

大宇宙=小宇宙であり、

真実の自己でありながら、

宇宙の最高原理ブラフマンだったのである。

その他にも 

その後のインドに多大な影響を与えていく業、(カルマ)

輪廻・などの観念も表面化してきた。

また、ゴータマ・ブッタによる仏教・

ニガンタ・ナータップタによる

ジャイナ教が生まれたのもこの時期であった。

この頃日本は、弥生時代前期にて水田耕作や高床式住居で暮らしていた時代である。

次回ブログへ続く ヨガの歴史 ブッタの時代から現代に至るまで

参考文献

ヨーガ根本経典  佐保田鶴治

続ヨーガ根本経典 佐保田鶴治

ヨーガの思想   山下博司

いまに生きるインドの叡智 成瀬貴良

瞑想ヨーガ入門  綿本彰

ヨーガを始める人のために 田原豊道

YIC日本語版・講義資料集 日本ヴィヴェーカナンダ・ヨーガ・ケンドラ

YTIC四大ヨーガ資料集 日本ヴィヴェーカナンダ・ヨーガ・ケンドラ

インド哲学としてのヨーガ 前田専学 2012.07.07.日本ヨーガ療法学会第十回研究総会In岡山配布資料

※敬称略にて失礼します

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