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後悔の正体 〜カルマヨガという生き方〜

  • 執筆者の写真: soma
    soma
  • 2 時間前
  • 読了時間: 2分

更新日:2 時間前

お盆休みでしたね。

いかがお過ごしでしたか?


私もしっかりお休みをいただきました。

というか、 レッスンが“仕事”という定義ならば、

最近は お休みだらけですが…笑。


そんなお盆、 私は義理の弟のお父さまのお墓参りに行ったり、

もちろん父の供養もして、 心静かに過ごしておりました。


ふと思ったんです。

人間には終わりがある——と。


特に私の父は、 59歳という若さでこの世を去りました。

残された者として、ふと考えるんです。

父は悔いなく生きたのだろうか、と。

…余計なお世話ですよね、笑。


でも、そこから「後悔」について考え始めました。




以前の私は、後悔を“結果”に結びつけていました。

できなかった。

やれなかった。

その結果が、後悔だと思っていたんです。


でも最近、後悔の概念が大きく変わりました。


後悔は、結果ではなく、

過程の中にある。

やれることがあるのに、やらなかった——

この“過程の怠り”こそが、私にとって一番つらい後悔。


たとえば、 健康診断で高血圧・高脂質・悪玉コレステロール。

更年期だから、身体の変化で致し方ない。

でも、何かできることがあるのにしていないのでは?


そう思ったとき、

食生活や散歩など、 日常の中に“やれること”があると気づいたんです。


やれることをやって、それでもダメなら——

それはもう、仕方ない。

納得できる。


結果はどうでもいい。

そこに向かって自分がやったか、やらなかったかだけ。


そう、私は変化しました。


結果を気にせず、今に集中する。

コツコツと、淡々と。

それはまさに、カルマヨガ。


いつのまにか、私はカルマヨガを実践していたようです。




さあ、みなさんはいかがですか?


そんなカルマヨギーだったら、 私が張り切ってあの世に走り去った後

残された人もきっとこう言うでしょう。

「あの人は、やりたいように生きたよね」と。


59歳で旅立った父も、

きっと雲の上から応援してくれていると思います。


最後の最期、結果はみんな一緒。

みんな、雲の上なのだから。


あなたの職務は行為のそのものにある。 決してその結果にはない。 行為の結果を動機としてはいけない。 また無為に執着してはならぬ。 バガヴァッド・ギーター二章47

どんな人間でも最終結果は みんな同じだもんね。 だから結果にはない。 参考文献バガヴァッド・ギーター上村勝彦訳岩波文庫

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ヨガのことなら ヨガ講師 野中由美

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